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キム・カーダシアンが下着ブランドに #Kimono と名付けた件に関して

キム・カーダシアン #Kimono

こんにちは、みさき(@misakitokyo)です。

毎朝チェックしているTwitterでお騒がせセレブのキム・カーダシアンが補正下着のブランドを出したということを知りました。

そこまでは良かったのですが、そのヌードな下着に彼女はなんと”Kimono”(キモノ)と名付けたとのこと。

カーダシアン家のファッションやメイクは参考になるし、KUWTKのリアリティーショーは面白くて個人的には好きでした。

ただ露出しまくりであたかも裸を連想させるような色合いの下着の広告キャンペーンを打っていて、それがKimonoと呼ばれるのは日本人としては違和感でしかないのです。

なんでも、彼女はKimonoを商標登録しようとしているようで、日本人や、日本の文化を重んじる方からは文化盗用であるという声が上がっていて、セレブのゴシップニュースの枠を越えています。

これは私も声を上げなくてはと。

海外に住んでいても、着物も日本も大好きな私は黙っていられません。

日本人の私が今回の件についてどう感じるかをシェアしたいと思います。

キム・カーダシアンの下着ブランド「Kimono」

ここ1年私が取り組んできたプロジェクトをやっとシェアできるわ。

15年間、ずっとこのことに情熱を注いできたの。

この補正下着”Kimono”は実際に使える女性のための解決策よ。

訳は意訳です。

Kimって名前を日本語のキャッチーな単語に掛け合わせてつけた名前なのかもしれないですが、日本女性の伝統的正装・礼装とされている着物を下着のブランド名にするのはなんだかいただけないですよね。

自身の絵文字をKimojiと付けて売っていた彼女なので、軽いノリだったのかもしれません。

ソーシャルメディアでのKimonoに対する疑問の声

キムへ。この着物は私の母から受け継がれたものです。着物は日本の伝統的文化。だからあなたのブランドネームにはしないで。@mihoimiofficialさんが提案したように、Kimno(キムの)って名前にした方が意味合い的にあってると思う。

 

”Kimno”(キムの)って名前にした方がいいんじゃない?

日本語で、”キムの”って意味だから。

その方が合ってる。

“Kimono”っていう言葉が日本人が使用している意味合いと全く違う意味で利用されてて悲しい。着物は日本の伝統的衣装で、私たちにとって誇るべき歴史であり文化なの。言い方は悪いけどこのネームチョイスは率直に言って無教養すぎ。

Instagramでは、キム・カーダシアンはすでに@kimonoのアカウント名でオフィシャルアカウントを取得済み。

この写真のどこが着物なのか理解に苦しむところですが…

写真に対するコメントを読んでみると、私たち日本人だけでなく、日本文化へのリスペクトをもつ海外の方からも”Kimono”というブランド名への反対の声が多数あがっています。

中には、「”Kimono”って名前を使わないで!日本人に対してのリスペクトを持つべき。日本の皆さんはもっと怒るべきなのになぜ怒らない?日本人の文化である着物を下着の名前として商標登録しようとされているんです。日本の文化を守りましょう。」といったコメントも残されていました。

#KimOhNoのハッシュタグで反対運動も

#KimOhNo のハッシュタグで本当の着物とは何かをTwitterでシェアする活動が広まっています。

Kimonoが商標登録されるとどうなるか

キム・カーダシアンのすごいところは、”Kimono”を商標登録しようとしてるところ。

そしてその独占権も獲得しようとしているようです。

すでに何件もの商標登録出願をしていて、これが通ると、”Kimono”を世界で”Kimono”として紹介したり、商売したりできなくなるわけです。

元々自分で自身のセックステープを流出させてまで有名になった彼女ですし、コスメや様々なビューティー系ブランドを出している起業家な彼女ですから、ただの思いつきとは考えにくい。

悔しいですが、この反応を見越して敢えて”Kimono”と自らの下着ブランドに名付けたのかもしれない。

これももしかしたら炎上商法なのかもしれないですよね。

日本人にとってのKimonoって

なんだかネガティブなことばかり書いてしまいましたが、私が怒っているのは日本人として着物の文化が美しいものだと思っているし、

着物が全く違う意味合いで、なんだか自分のアイデンティティを奪われるような危機感を感じているから。

 

私は日本で18まで育ってきて、大学の時に1年間アメリカ留学をしました。

そこでアジア系アメリカ人や、ヒスパニックの友達と出会い、彼らのルーツへのリスペクトやバックグラウンドの文化に起因するアイデンティティーの強さを感じたんですよね。

ジャパニーズアメリカンの家に盆栽が飾られてるとか、純ジャパの私たちよりもやけにサムライとか漫画に詳しかったりとかです。

ホモジェネウスな日本にいると、日本の文化を振り返ったりとか感謝する機会が薄れるのかもしれないです。

 

それでカンボジアとかベトナムとかシンガポールにも住んでみて、特に多国籍国家なシンガポールでは、未だにみんな伝統衣装を着て毎週お寺に行ったり、家族や宗教の集まりを大切にしているわけです。

 

そんな影響を受けて私は、自分の文化の着物を自分で着れないのは恥ずかしいと思い、すぐに着付け教室に通い始めました。

こんなに美しい着物なんだから、普段からもっと街中で着れたらいいなって。

着付けを学ぶことでルーツを探ることにもなったんですよね。

 

それに私は結婚式は地元の神社で挙げて、パートナーがいない時から白無垢を着るってずっと決めてるんです。

 

今の日本で着物を着る機会って、七五三や成人式、冠婚葬祭の時。

 

親友の結婚式に着付けして着物を着ていくのは心からの祝福の気持ちを表すためであったり、

お葬式の時に家紋の入った代々受け継がれた喪服を着るのは相手への敬意を払うことでもあるでしょう。

そして実際に袖を通してみると「あぁ、私日本人でよかったな」って思うはずです。

 

個人的には元々キム・カーダシアンのことは好きで、ヌードの下着にもぴったりとした服装にも露出にも何も反対ではないんです。

ただ”Kimono”ってネーミングだけがNGだった。

名前が違かったら、可愛いと思ってただろうし、買っててもおかしくない。

 

そもそも着物を着る時って中にタオル入れてボディーラインが出ないようにしたり、

衿がだらしなくならないようにきちんとさせるじゃないですか。

全く露出がない着物だけど、後ろの衿だけ綺麗に抜くと。

 

その包み隠されたところに日本の美があると思うんです。

 

 

ここで私は声を上げることはできても、事実が変わるかどうかはわからないです。

でもこの一件は、もっと文化を大切にしなくてはと思わせてくれたわけです。

 

だって、自分で思っていた以上に怒ってるし、嫌だと感じるているから。

着物という日本の奥ゆかしい伝統が詰まっている言葉を下着ブランドにされてしまうのは悲しい。

 

普段からもっと大切にしよう。